おもちの人生色々

自身で経験した事が、誰かのお役に立てたらと思います。可愛い愛猫も登場します。

手紙…感動あり…そして切ない…



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父親の背中って山のように大きく感じたけど、自分が大人になるにつれて、どんどん父親の背中が小さくみえてくるんですよね。
世の中のお父さん達に感謝しないといけませんね。
職業問わず家族や大切な人の為に、がむしゃらに頑張っていますもんね。


ボロボロの紙

私の父は13年前に亡くなりました。

その頃私は10代で後先考えずバカな事ばかりし て、家出をし、母も父と仲が悪く別居…。

亡くなる前の一年間は、お父さんは独り。

成人式に出ようと久しぶりに帰り、お父さんに 会った。

お父さんは凄く痩せていた。 病院に行くようにお母さんとすすめた。

数日後電話で話した。 お父さんは病院行ったって嘘ついた。

この時自分でも分かっていたのかもしれない。

それから二ヶ月後、その日はやたらと非通知で電話がきていた。

その後、お母さんからの電話。

「すぐに家に帰りなさい」 と言われ、帰るとお父さんが救急車で運ばれた と。

慌てて病院へ行くと全く動けなくなってしまった お父さんが居た。

余命半年。

全身に癌が転移し、腰の骨にも転移して骨が砕け てしまっていた。 あの非通知の電話はお父さんだった。 私やお母さんに助けを求める電話だった。

昔から機械音痴なお父さん。

肝心な時に非通知設定。

次の日の診察余命1ヶ月になった。

今までの事凄く後悔した。

ひたすら後悔した。

それから、お父さんは亡くなるまで二週間、痛みに耐え頑張った。

家族三人で毎日一緒にすごした。

今までの分を取り戻すかのように三人で出来るだけ笑顔で。

父の会社の上司に引継ぎする時、病室で必死に起き上がろうとしたお父さん。

入院する前日まで朝から夜遅くまで仕事していたお父さん。

みんな、私のため。

私が好き勝手できたのもお父さんのお陰。

バカで無知な私。

葬儀の日、お父さんの財布からボロボロの紙が出 てきた。

私が小学校で父の日に書いた作文だった。

16年ずっと持っていてくれた。

涙が止まらなかった。

本当にバカな娘でごめん。

ありがとう、お父さん。


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鳶職の父

公用でM高校へ出かけたある日のことだった。

... 校長先生が、私達を呼び止められて、

「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」
と言われ、校長室に案内された。

「実はある生徒の作文ですが・・」

とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。

「僕の父親の職業は鳶職である・・・」という書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。



父親の休日は定まっていなかった。

雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。

仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。

僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。

小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。

(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。

たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。

母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。

『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。

『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』

『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。

小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。

運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。

こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。



ある日、名古屋へ遊びに出かけた。

ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。

僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。

8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。

僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。

(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。

一つ違えば下は地獄だ。

女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)


僕は体が震えてきた。

8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた」


校長は少し涙声で読み続けた。


「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。

母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。

一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。

僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。

体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。

何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。

どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」

そして彼は最後にこう書き結んでいる。

「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、

日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、

今日限りこんな夢は捨てる。

これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、

そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。


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親父からの時計

大学が決まり一人暮らしの前日の日 親父が時計をくれた。

金ピカの趣味の悪そうな時計だった。

「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」

そういってた。

二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。

ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。

紛れもない偽者であることが判明した。

すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」

親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ    最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」

親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」

俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」

親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」

親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。

今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。

そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。

まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。

親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。

くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」

二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。


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未読メッセージ父ちゃん


俺の父ちゃんは母さんを亡くし、俺と妹を一人だけでずっと育ててくれた。

父ちゃんは会社ではとっても真面目で無口なエリート社員らしいが、家ではいつも明るくしてくれて、母親の愛情を知らない俺たちにたっぷりと愛情を注いでくれた。

父ちゃんはビールが大好きで、酔うともっと明るくなって面白くなって、悪いところがひとつもないそんな父ちゃんが大好きだった。

そんな毎日が続くある日、父ちゃんが倒れた。

俺はびっくりして妹と一緒に父さんを急いで病院に連れて行った。

病院について診察室に行くと、「とりあえず検査入院しましょう」と医者に言われた。

検査入院は一週間で、毎日毎日俺たちはお見舞いに行った。

行くたびに父ちゃんは俺たちを笑顔で迎えてくれた。

俺たちがいつもどおりお見舞いに行くと、

『お前らほんまに優しいなぁ。父ちゃんほんま幸せもんやわ』

と言って父ちゃんは涙を流した。

初めて見る父ちゃんの涙・・・。

本当にいい父ちゃんだな・・・。

一週間がたち検査結果が出た。

医者があせってる。

なんか妙な胸騒ぎがした。

医者は話し出した。

『落ち着いて聞いてくださいね・・・あなたたちのお父さんは肺がんです。いろんなところに移転してしまっていて・・・もう治ることは無いと思いますし・・・多分もって3、4ヶ月くらいだと思います・・・。』

その言葉を聞いたとき びっくりして動けなかったのは 今でも覚えている・・・。

その後、家に帰って妹と一緒に泣き明かした。

泣いて

泣いて

泣いて

泣いて・・・・・・。

父ちゃんともうすぐお別れと考えるだけで気が狂いそうだった。

そして次の朝、いつものとおり父ちゃんの病室へ行き、父ちゃんの病気のことを告げた。

すると父ちゃんは、一瞬びっくりした顔になったが、すぐに笑顔になりこう言った。

『その病気はお前らにはうつったりはせんのやな??それはよかったよ。

昨日ベッドでな、私はどうなってもいいですから、息子や娘にまで伝染ったりするような病気だけはやめてください。

私が治って、子供が苦しむような病気だけは絶対にやめてください。

ってずっと祈ってたんやよ。いやぁ神さまっているんやなぁ。』

そう聞き、俺は部屋を飛び出し、トイレでずっと泣いていた。

ずっとずっと・・・。

自分がこんな病気に侵されていても、それでもまだ子供を心配してる俺たちへの愛情に・・・。

どんだけいい父ちゃんなんだよ・・・

父ちゃん・・・

離れたくないわ・・・

余命宣告されてから2ヶ月後、まだ元気な父ちゃんに俺と妹から携帯電話をプレゼントした。

父ちゃんは、『これでお前らともどこ行っても話せるようになるんやなぁ』と言って喜んでくれていた。

父ちゃんはメールのやり方など、必死に覚えてくれて、毎日俺たちに電話してくれてた。

そして余命宣告から3ヶ月と少したったある日、突然医者から電話が入った。

『お父さんの容態が急変しました。いますぐ病院に来てください!』

俺は妹を連れて急いで病院に向かった。

父ちゃん死ぬな!!

そう叫びながら病院に向かった。

病院につき病室の扉をおもいっきり開けると・・・・・

父ちゃんの顔には、白い布がかぶされてあった・・・・・・・・・・・・・・・

その場で泣いた。

本気で泣いた。

倒れこんで泣きじゃくった・・・

父ちゃん父ちゃん・・・・・・

なんで死ぬんだよ・・・

家に帰ると、俺のケータイが光っていた。

未読メッセージ一件:父ちゃん

父ちゃんからのメール??

あれっ!?さっき死んじゃったはずやろ・・・・??

受信した時間を見てみると、驚くことに父ちゃんが死ぬたった14分前だった・・・。

そのメールにはこう書かれていた。

『大輔、友美へ

お前らを残して逝っちまうなんてほんま最低な父ちゃんだよな。

ごめんな。

許してくれ。

大輔、友美。

父ちゃん、お前らの父ちゃんでいれてほんまよかった。

もう死んでも悔いはなんもないわ。

ほんまにありがとうな。

幸せになるんやぞ。』

父ちゃん・・・

死ぬ直前まで俺らのこと考えてくれてたんだ・・・・・。

そして俺は返信を書いた。

『父ちゃんマジでありがとう。

ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。

あんたは最高の父ちゃんだよ。

これだけは胸張って言えます。

本当にありがとうね。

天国行っても俺ら見守っててください』

俺は、二度と返信の返ってこないメールをもう一度読み返し、心からのありがとうを込めながら、送信ボタン押した。


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機械音痴の母がデジカメを買った


なんか、機械音痴の母がデジカメを買った。

どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。

何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく

「どうすればいいの?」

って聞いてきたが

「忙しいから、説明書読め!」

とつい怒鳴ってしまった。

さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。

そしたら

「・・・ごめんね」

と一言。

そんな母が先日亡くなった。

遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら、俺の寝顔が写ってた・・・。

涙が止まらなかった。

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娘が書いた神様への手紙

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。


「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです。」


こっそりと中を読んでみたら、


「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします。」


と書いてあったそうだ。

旦那は去年、交通事故で他界した。


字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・。

受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。


「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~。」


最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

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『サンタさんへ ガンがなおる薬を下さい』

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って

「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと

娘が、「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」

……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして

「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれど、なんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。

夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。

お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。






感動あり…
そして切ない…
涙が止まらなくなりますね。
『人はみんな誰かの大切な人』

今日もありがとうございました。_(..)_🌹






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