私の長男
昭和63年に長男が生まれてから平成が終わる今日まで、子育てに奮闘してきました。
初めてのお産…
ヒーヒーフーのラマーズ法をしている最中、私を囲む10人近くの研修医の方達…
その研修医の方達に『ジーと見つめ👀られながらの初めてのお産』
この時は『女』ではなく『母』
だから恥ずかしくはなかった…その時は…
( 〃▽〃)
泣き止まない長男
『この子を道連れに…』なんて事を考える日が続き心身共に辛い時期でしたが、
乗り越える事が出来たのは、子供の寝顔…
母親なら誰でも経験する思い。
子供の寝顔を見て『反省』
怒りすぎてごめんね…
明日は『怒らないようにしよう』と毎回寝顔を見ては思い、それが毎日の繰り返しです。(今でも…)
長男は背も体も大きくて口も悪いがムードメーカー。不器用で誤解もされやすい性格。
小学校6年生の頃のお話です。
私の住んでいたマンションの、斜め後ろの家の子と同級生で同じクラスの男の子S君がいました。
学校が終わると時々一緒に遊び、我が家にも連れてきた事があります。
S君は『発達障害』がありました。
学校へはお母さんが送迎していましたが、ある日長男と一緒に帰る事に…
学校から家までは歩いて15分くらいですが、S君は足の筋肉が弱くスムーズに歩く事ができないので、ゆっくり歩いて帰ってきたそうです。
そして『事件』がおこりました。
次の日…担任の先生(女性)から凄い剣幕で電話が掛かってきました。
内容は『他校の生徒と掴み合いの喧嘩をした』
一方的に長男に非がある言い方です。
(そう…長男は誤解されやすいタイプ)
学校から帰ってきた長男に聞いても『黙秘』を続けます。
するとチャイムが鳴り、S君のお母さんが訪ねてきました。
うちの子と一緒に帰ってくれてありがとうございます。
そのせいでトラブルに巻き込まれ誤解をされた挙げ句に先生に怒られたと聞きました。
(S君がお母さんに『事件』のいきさつを話したようです)
『事件』の真相
S君が他校の生徒に『話し方や歩き方を真似され暴言を言われからかわれた』
そして長男が怒り掴み合いになったもよう。
次の日…担任の先生と校長先生が我が家に謝罪にみえました。
(先生~最初から冷静に子供の言い分を聞いてあげて下さいね)
長男は我慢もしたようですが…
自分の『大切な友達』が、からかわれたのが許せなかったんでしょうね。
私の『自慢の長男』です。
戦争の時代に生まれていたら『僕は迷わず特攻隊に入る』とよく言っていました。
『家族やお母さんを守るには、唯一自分ができる手段だから…』
(もしも戦争の時代に生まれていたらの話です)
果たしてそれが本当に『守る手段』なのかなと考えさせられました。
昭和生まれ平成育ちの長男が教えてくれた17歳~18歳の特攻隊の青年です↓
神風特別攻撃隊(神風特攻隊)とは、大日本帝国海軍(日本海軍)の特別攻撃隊である。命名者は初の特攻隊を編成した、第一航空艦隊主席参謀猪口力平大佐。ここでは並行して行われた陸軍特攻や、航空機以外の特攻も含め、特別攻撃隊全般について述べる。
特別攻撃(特攻)とは、爆弾を搭載した航空機や爆薬を装備した高速艇等で目標に乗組員ごと体当たり攻撃する戦法であり、その戦法を行う部隊を特別攻撃隊(特攻隊)と呼ぶ。第二次世界大戦末期における日本軍の主要戦法として実施された。「戦死を前提とした体当たり戦法」を「軍事作戦として正式に採用、実施」したほぼ唯一の事例であり、現在でも決死攻撃・体当たり攻撃の象徴的存在として、世界中で『Kamikaze』という代名詞と共に語り継がれている。
私は『人を見下すような人間は嫌いです』
『差別も嫌い』
人はそれぞれの生き方があるし、たった一度の人生があります。
私が子供に唯一願うのは…
『困っている人がいたら、自然に手を差しのべてあげられる…そんな子になってほしい』
令和の時代はもちろん…
『世界平和を願います』
そして『困っていたらお互い手を差しのべて助け合える時代』
『動物にも人にも…生き物全てに優しい世の中』
『はてなブログ』の皆様、未熟者の私ですが、『令和』の時代も宜しくお願い致します。
何時も温かく見守ってくれてありがとうございます。
はてなブログの皆さん大好きです❤️
_(..)_🌹